劇走の軌跡 新感線ものがたり(4)2009年06月25日

今回は、86年の「星の忍者」上演から、87年5月の「阿修羅城の瞳」を経て、時代劇という路線、つまり「いのうえ歌舞伎」が定着する辺りまで。

「星の忍者」の客入りは上々だったものの、その後、次々に打ち出した新作はやっぱり客が入らなくなっていったようですが、この頃に、当時~現在に至るまで劇団の核になる役者陣(現在在籍してるメンバーで名前があがってたのが、橋本、粟根、逆木、高田。敬称略)が集まってくるんですね。
公演数が多かった頃は、公演前には稽古場に泊まり込みで、流しの水で体を洗ってたので、「稽古場に湯沸かし器がついた時は大喜びした(じゅんさん談)」って話は、貧乏劇団の悲哀を感じるエピソードでしたw
でも、そんな「苦しい時期が新感線を鍛えた」という論評があったように、数を打つのをやめたあと、満を持して、中島氏の自信作、いのうえ歌舞伎第2弾「阿修羅城の瞳」ですよ。こいつが当たるわけです。今でも、阿修羅城と髑髏城は、中島脚本の中で一、二を争う人気作ですからねぇ。
ちなみに、今回の写真は「阿修羅城の瞳」初演時のものでしたが、古田はまだ痩せているw
阿修羅城の成功で、いのうえ歌舞伎は、ネタ物と並ぶ演目の柱になり、ちょうどその頃から、東京進出の話も出始めたけど、ある種のイロモノである自分達の芝居は、一度外すと人気を取り戻すのに時間がかかる、ゆえに「失敗は許されない」との思いから、慎重になってる……というところで今回は終了。
次週で連載も折り返しですが、今後は、東京進出、いのうえ歌舞伎の熟成、R・RX路線が新たな柱に加わる……って感じの展開かな?